大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 昭和51年(あ)1163号 判決

主文

原判決中被告人坂田輝昭に関する部分を破棄する。

本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

検察官の上告趣意について

一被告人坂田輝昭(以下、単に被告人ともいう。)に対する本件公訴事実の要旨は、被告人は、昭和四二年一一月一二日午後二時四〇分ころから同三時五分ころまでの間、東京都大田区羽田空港二丁目三番一号東京国際空港ターミナル・ビルデイングの国際線出発ロビーにおいて、日本中国友好協会の関係者ら約三〇〇名が集合し、東京都公安委員会の許可を受けないで、「佐藤首相の訪米阻止」、「蒋経国の来日阻止」等のシユプレヒコールなどをして気勢をあげたうえ、約五列になつてスクラムを組み、「わつしよい、わつしよい」とかけ声をかけながらかけ足行進して集団示威運動をした際、山本庄八(以下、単に山本という。)ほか数名と共謀のうえ、集団中央部の台上より右シユプレヒコールの音頭をとり、煽動演説を行い、かつ、同集団に相対して右手をあげ、「ただいまから行動を開始する」旨指示し、スクラムを組ませて行進を開始させ、もつて右無許可の集団示威運動を指導した、というのである。

これに対し、原判決は、関係証拠によりほぼ公訴事実にそう外形的事実を認定したうえ、被告人は単独で無許可の本件集団示威運動を指導したことになるから、一応昭和二五年東京都条例第四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(以下、本条例という。)五条に違反する場合にあたるとしながら、進んで被告人の違法性の意識について検討を加え、被告人は行為当時本件集団示威運動は法律上許されないものであるとは考えなかつたと認められるとしたうえ、無許可の集団示威運動の指導者が、右集団示威運動に対し公安委員会の許可が与えられていないことを知つている場合でも、その集団示威運動が法律上許されないものであるとは考えなかつた場合に、かく考えるについて相当の理由があるときは、右指導者の意識に非難すべき点はないのであるるから、右相当の理由に基づく違法性の錯誤は犯罪の成立を阻却するとの法律判断を示し、これを本件についてみると、被告人が本件集団示威運動は従来の慣例からいつても法律上許されないものであるとまでは考えなかつたのも無理からぬところであり、かように誤信するについては相当の理由があつて一概に非難することができない場合であるから、右違法性の錯誤は犯罪の成立を阻却するとした。

二ところで、所論の第一点は、原判決は、故意と法律の錯誤に関する刑法三八条の解釈適用につき所論引用の当裁判所の各判例と相反する判断をしたというものであるが、右にみたように、原判決の前示法律判断は被告人に違法性の意識が欠けていたことを前提とするものであるところ、職権により調査すると、原判決には右の前提事実につき事実の誤認があると認められるから、所論について判断するまでもなく、原判決中被告人坂田輝昭に関する部分は、刑訴法四一一条三号により破棄を免れない。

すなわち、原判決によれば、被告人は日本中国友好協会(正統)(以下、単に日中正統という。)中央本部の常任理事、教宣委員長をしていた者であること、日中正統と、これと姉妹関係にある日本国際貿易促進協会の両団体は、内閣総理大臣佐藤栄作がアメリカ合衆国政府首脳と会談するため昭和四二年一一月一二日羽田空港から出発して訪米の途につくことを知るや、右訪米は日本と中国との友好関係をそこなうものであるとして、同年九月上旬ころ、これに反対の態度を表明したうえ、機関紙やパンフレットにより、両団体の関係者などに対し、同年一一月一二日には羽田空港に集つて訪米に反対の意思表示をするからこれに参加するように呼びかけていたが、その前日都内清水谷公園で開かれた同じような団体による佐藤首相訪米反対の集会やそれに引き続くデモ行進については、被告人が東京都公安委員会の許可を受けて実行していたのに、この件については許可申請の手続がなされなかつたこと、右の呼びかけに応じて前記両団体の関係者などが昭和四二年一一月一二日東京都大田区羽田空港二丁目三番一号東京国際空港ターミナル・ビルデイング二階国際線出発ロビーに参集したが、被告人は、同日午後二時四〇分ころ、同ロビー内北西寄りにある人造大理石製灰皿の上に立ち、「首相訪米阻止に集つた日中友好の皆さんはお集り下さい」と呼びかけ、これに応じて集つた約三〇〇名の右両団体の関係者らに対し、「首相訪米を阻止しよう」という趣旨の演説をした後みずから司会者となり、日中正統会長黒田寿男に演説を依頼し、これに応じた同人が同じような趣旨の演説をした後、同人と交替して前記灰皿の上に立ち、手拳を突きあげて「首相訪米反対」、「蒋来日阻止」、「毛沢東思想万歳」、「中国プロレタリア文化大革命万歳」などのシユプレヒコールの音頭をとり、これに従つて前記集団は一斉に唱和したこと、続いて、関西方面から参集した人々を代表して山本が、青年を代表して森川忍が、演説をした後、前記灰皿の上に立つた被告人は、折からロビー内で制服警察官等が本件集団の動向を見ているのを認め、「警官の面前で首相訪米反対の意思を堂々と表示することができたのは偉大な力である」と述べて集団の士気を鼓舞したうえ、「これから抗議行動に移ることとするが、青年が先頭になり、他の人々はその後についてくれ」と指示し、最後に、右手をあげて「行動を開始します」と宣言したこと、これに応じ、前記集団の一部が、同日午後三時四分ころ、同ロビー内北側案内所附近で横約五列、縦十数列に並び、先頭部の約五名がスクラムを組んだうえ、西向きにかけ出し、その後右隊列は順次南方及び東方に方向を転換しながら同ロビー内を半周したうえ、ロビー南東部から延びている職員通路に走り込んだが、こうしてロビー内を半周している際、右隊列中の一部の者が「わつしよい、わつしよい」とか「訪米阻止」とかのかけ声をかけていたこと、空港ビルを管理している日本空港ビルデイング株式会社は、同日午後二時四〇分ころから数回にわたり場内マイク放送で「ロビー内での集会は直ちにおやめ下さい」などと繰り返し制止していたけれども、これを無視して前記演説やシユプレヒコールなどが行われ、かつ、各演説の途中及び終了の際に、本件集団は一斉に拍手したり、「そうだ」とかけ声をかけたりしていたことなどの事実が認められるというのである。

これらの事実とくに右事実に現われている被告人の言動及び記録によつて認められる被告人の経歴、知識、経験に照らすと、被告人は東京都内において集団示威運動を行おうとするときは場所のいかんを問わず本条例に基づき東京都公安委員会の許可を受けなければならないことを知つていたことが明らかであるうえ、終始みずからの意思と行動で本件集団を指導、煽動していたことにより、本件集団の行動が示威運動の性質を帯びていることを認識していたことも明らかであるから、被告人は行為当時本件集団示威運動が法律上許されないものであることを認識していたと認めるのが相当である。原判決が三の1で指摘している事情は、いまだ右の認定を左右するに足りるものではなく、また、本件集団示威運動が比較的平穏なものであつたとの点も、原判決の認定している前記各事実に照らし必ずしも首肯することができないから、右の結論に影響を及ぼすものではない。

以上によれば、被告人は行為当時本件集団示威運動が法律上許されないものであることを認識していたと認められるから、被告人はそれが法律上許されないものであるとは考えなかつたと認定した原判決は、事実を誤認したものであり、この誤りは判決に影響を及ぼし、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められる。

三よつて、上告趣意に対する判断を省略し、刑訴法四一一条三号により原判決中被告人坂田輝昭に関する部分を破棄し、同法四一三条本文に従い、本件を原審である東京高等裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(本山享 岸盛一 岸上康夫 団藤重光 藤崎萬里)

検察官の上告趣意(昭和五一年一〇月九日付)

目次

序説

第一点 判例違反

第二点 法令違反

一 本条例五条の罪の実質的違法性に関する判断の誤り

二 違法性の錯誤に関する判断の誤り

結語

序説

一 一審判決の要旨

本件公訴事実は、「被告人は、昭和四二年一一月一二日午後二時四〇分ころから同三時五分ごろまでの間、東京都大田区羽田空港二丁目三番一号東京国際空港ターミナル・ビルデング内、国際線出発ロビーにおいて、日本中国友好協会関係者ら約三〇〇名が集合し、同都公安委員会の許可を受けないで、『佐藤首相の訪米阻止』、『蒋経国の来日阻止』等のシユプレヒコールなどを行なつて気勢をあげたうえ、約五列となつてスクラムを組み、『ワツシヨイ、ワツシヨイ』とかけ声をかけながら、かけ足行進をして集団示威運動を行なつた際、ほか数名と共謀のうえ、集団中央部の台上より右シユプレヒコールの音頭をとり、煽動演説を行ない、かつ、同集団に相対して右手をあげ、『ただいまから行動を開始する』旨指示し、スクラムを組ませて行進を開始させ、もつて右無許可の集団示威運動を指導したものである。」というにある。(罪名は昭和二五年東京都条例第四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例違反、罰条は同条例第一条・第五条、刑法第六〇条。以下右条例を「本条例」と略称する。)

一審の東京地方裁判所は、右事件につき、外形的事実はほぼ公訴事実どおり認定しながら、空港ビル内での本件集団の動きはあとに予定された別の場所での集団示威運動に突き進む手前の予備的段階における勢ぞろい的な行動にすぎないとし、証拠上、その集団の行動が勢いのおもむくところ暴力的な行動にまで発展する具体的な危険性を帯有したものであつたとも、空港ビル側や一般公衆などに対して不当な妨害や迷惑を与えたとも認められないから、いまだ本条例が刑罰による規制の対象として予想している集団示威運動の定型的行為に該当しない、と判断して無罪の言渡しをした。

二 差戻し前二審判決の要旨

右判決に対し、検察官から、同判決は、事実を誤認しているばかりでなく、本条例がその対象とする集団示威運動を、暴力的な行動にまで発展する具体的な危険性を帯有するものに限定した点において、最高裁判所の判例の趣旨を誤解して、本条例の解釈適用を誤つたものであつて、その誤りはいずれも判決に影響を及ぼすことが明らかである、として控訴を申し立てた。

東京高等裁判所第九刑事部は、審理の結果、事実関係については、一審判決に事実の誤認があることを認め、本件集団行動が本条例一条に違反してなされた無許可の集団示威運動に当たることは、諸般の証拠上これを否定することができないとしながら、「本件集団の行動は、集団示威運動としては、寧しろ比較的に犯情の軽微なものであつた部類に属し、そこに公共の安寧に対する直接且つ明白な危険があつたものとは考えられない」ことを主たる理由として、「本件においては集団示威運動の可罰的な違法性が未だ明確であつたとまではいえない」とし、また「本件の集団示威運動には、決して、右判例にいう『暴力に発展する危険性のある物理的力を内包している』ものとは考えられず、これを以つて可罰的な違法性を具備した集団示威運動に当たるものとは到底いうことができない」として、本件は可罰的な違法性がない場合とみるのが相当であり、本条例五条の構成要件を欠くから、被告人は結局無罪たるべきものであり、一審判決は結局これと同一の結論に達しているものと考えられるとして、控訴棄却の判決を言い渡した。

三 差戻し判決の要旨

右判決に対し、検察官から、同判決は、最高裁判所の判例と相反する判断をし、また、可罰的違法性がない故をもつて犯罪の成否を否定したことは、本条例一条、五条並びに違法性阻却事由に関する刑法三五条ないし三七条の解釈と適用に重大な誤りを犯しているものであり、右はいずれも判決に影響を及ぼすことが明らかであつて、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められるとして上告を申し立てた。

最高裁判所第二小法廷は、検察官の上告趣意がいずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当たらないとはしながら、職権をもつて調査した結果、「被告人らの指導した本件無許可の集団示威運動はそれ自体なんら実質的違法性を欠くものではないのに、原判決が、『たとえ無許可の集団示威運動を指導したとしても、そこに公共の安寧に対する直接且つ明白な危険がなく、可罰的な違法性が認められない限り、その者に対しては敢えて右のような重い刑罰を以て臨むべきではない』との解釈を前提として、被告人らが本件無許可の集団示威運動を指導した点につき、本条例五条の構成要件を欠くとしたのは、本条例一条、五条の解釈適用を誤つたものというべく、原判決の右違法は、判決に影響を及ぼし、かつ、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。」として、右判決を破棄し、本件を東京高等裁判所に差し戻すとの判決を言い渡した。

四 差戻し後の二審判決の要旨

差戻しを受けた東京高等裁判所第四刑事部は、事実の取調べをなしたうえ、本件の事実関係については、差戻し前二審判決が認定した事実とほぼ同一の事実を認め、「これを全体的に観察すれば、やはり、本条例一条本文所定の集団示威運動が行われたことになるといわなければならず、かつ、たとえこれまでロビーにおいて著名人や内外要人などの送迎又は航空会社労働組合の労働争議などの際に多数人が参集して気勢を挙げることがしばしばあつたとしても、これが本条例一条但書二号所定の慣例による行事の範囲を出ないとはいいきれない。」と判示し、また、「本件差戻し判決は、(中略)一次二審判決を破棄し、当裁判所に差し戻したのであるから、差戻しをうけた当裁判所としては、右の判断に従わざるを得ないところで、従つて本件の集団示威運動は本条例一条本文に違反し実質的違法性を有するものとして取り扱わなければならない道理である。」としながら、被告人坂田における違法性の認識について検討を加え、「被告人坂田は本件集団示威運動を指導した際、自己の司会のもとに展開されている無許可ではあつても比較的平穏な集団示威運動が法律上許されないものであるとまでは考えなかつたと認るのが相当である。」と認定したうえ、「無許可の集団示威運動の指導者が、右集団示威運動に対し公安委員会の許可が与えられていないことを知つている場合でも、その集団示威運動が法律上許されないものであるとは考えなかつた場合に、かく考えなかつたことについて相当の理由があるときは、右指導者の意識に非難すべき点はないのであるから、右相当の理由に基づく違法性の錯誤は犯罪の成立を阻却するといつてよい。」との見解に立ち、「被告人坂田が行為当時の意識において、本件の集団示威運動は、従来の慣例からいつても法律上許されないものであるとまでは考えなかつたのも無理からぬところであり、かように誤信するについては相当の理由があつて一概に非難することができない場合であるから、同被告人については、右違法性の錯誤は犯罪の成立を阻却すると解するのが相当である。」と判示し、一審判決には事実の誤認又は法令の解釈若しくは適用の誤りがあるけれども、無罪の言渡しをしたのは結局正当であるから本件控訴を棄却するとの判決を言い渡した(以下これを「原判決」という。)

五 上告申立の趣旨

しかしながら、原判決は、以下詳述するとおり、故意と法律の錯誤に関する刑法三八条の解釈適用につき最高裁判所の判例と相反する判断をし、また、本条例五条の罪の実質的違法性に関する判断並びに違法性の錯誤に関する刑法三八条の解釈適用に重大な誤りを犯しているものであり、右はいずれも判決に影響を及ぼすことが明らかであつて、右の法令の解釈適用の誤りは原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められるから、刑事訴訟法四〇五条二号、四一〇条一項及び四一一条一号により、当然破棄せられるべきものと思料する。

第一点 判例違反

原判決は、故意と法律の錯誤に関する刑法三八条の解釈適用につき、最高裁判所の判例と相反する判断をしている。

すなわち、最高裁判所判例は、以下に掲記するように、違法性の認識は故意の要件ではないとする大審院の一貫した熊度を継承し、自然犯たると法定犯たるとを問わず、違法性の認識は故意の要件ではなく、法律の錯誤は故意を阻却せず、また、法律の錯誤につき相当の理由があるとき又は過失がなかつたときでも、故意を阻却するものではないとしているところであるのに、原判決は、前述したように、本件において被告人には違法性の錯誤があり、これにつき相当の理由があるので、犯罪の成立を阻却すると判断したもので、右は明らかにこれら最高裁判所の判例と相反するものであつて、原判決は、当然に破棄を免れない。

一 最高裁判所判例は、次に掲記するとおり、犯意があるとするためには、犯罪構成要件に該当する具体的事実を認識すれば足り、違法性の認識を必要としないから、自己の行為が法律上許されないものであることを知らないで犯した場合であつても、いわゆる法令の不知ないし法律の錯誤として犯意を阻却しないとしている。

1 昭和二三年七月一四日大法廷判決(刑集二巻八号八八九頁)は、「『メチルアルコール』であることを知つて之を飲用に供する目的で所持し又は譲渡した以上は、仮令『メチルアルコール』が法律上その所持又は譲渡を禁ぜられている『メタノール』と同一のものであることを知らなかつたとしても、それは単なる法律の不知に過ぎないのであつて、犯罪構成に必要な事実の認識に何等欠くるところがないから、犯意があつたものと認むるに妨げない。」と判示している。

2 昭和二五年五月二六日第二小法廷判決(民集四巻五号一九一頁)は、「上告人等が被上告人において植え付けた稲苗を抜取つたのは耕作権があるから差支えないと思つたので法律上許されるものと信じていたとしても苟くも他人の植え付けた稲苗であることを認識しながらこれを抜取つた以上は毀棄の罪に該当するものといわなければならない。」と判示している。

3 昭和二五年一二月二六日第三小法廷判決(刑集四巻一三号二八八五頁)は、「物価統制令違反の犯罪行為についてはその犯意の成立について違法の認識を必要としないものと解すべきであるから、たとえ同被告人について所論の事情があつたとしても、それは刑罰法規の不知に過ぎないものであつて、もとより同被告人等の罪責を左右するものではない。」と判示している。

4 昭和二五年一二月二六日第三小法廷判決(刑集四巻一二号二六二七頁)は、「被告人は京都における一流の衣料品問屋である大京繊維株式会社の常務取締役の言を信じ本件ガラ紡織物は統制外の品であると思料して本件取引に及んだもので、いわゆる法律の錯誤があり、違法の認識がないから罪とならない」との弁護人の主張に対し、「犯意があるとするためには犯罪構成要素である事実を認識すれば足りその行為の違法を認識することを要せず、従つて法律の不知乃至いわゆる法律の錯誤は犯意を阻却しない」と判示している。

5 昭和二六年一月三〇日第三小法廷判決(刑集五巻二号三七四頁)は、「違法の認識が犯意成立の要件でないことについては、従来大審院の判例としたところであつたが、新憲法施行後においても当裁判所は、有毒飲食物取締令違反被告事件につき、犯罪の構成に必要な事実の認識に欠くるところがなければその事実が法律上禁ぜられていることを知らなかつたとしても、犯意の成立を妨げるものでない旨説示して従前の判例を維持したのである(昭和二三年(れ)第二〇二号同年七月一四日大法廷判決)。そしてその後当裁判所は、右判例の趣旨に従つて判決をしているのであつて、(中略)今にわかに右判例を変更しなければならない理由を見出すことはできない。」とし、「以上のように、新憲法下における解釈としても、違法の認識は犯意成立の要件ではないのであるから、刑罰法令が公布と同時に施行されてその法令に規定された行為の違法を認識する暇がなかつたとしても、犯罪の成立を妨げるものではない。されば被告人が昭和二一年六月一九日麻薬取締規則が公布され同日以降施行されていたことについて、これを知らなかつたとしても、かかる法令の不知は未だ犯意の成立を妨げるものではない。」と判示している。

6 昭和二八年五月七日第一小法廷決定(刑集七号九三七頁)は、昭和二二年勅令第九号違反等被告事件について「若し仮に被告人の本件所為が原判決摘示のように婦女に売淫させることを内容とする契約をしたことに該当すると仮定しても、本件被告人の為したる此の種のものは社会の公然の秘密として認容され、社会通念上犯罪観念の外にあると云うべく(中略)、被告人は真率に許容されたる行為として違法の認識を欠如して居たものであるから、被告人の所為は犯罪とならない」旨の弁護人の上告趣意に対し、「犯意に違法の認識を必要とするとの前提に立つ所論であるが、当裁判所屡次の判例とされているとおり違法の認識は犯意の要素ではなく、所論は結局刑罰法令の不知の主張に過ぎない。」と判示している。

7 昭和三二年八月二〇日第二小法廷決定(刑集一一巻八号二〇九〇頁)は、差押標示無効窃盗被告事件について、「被告人は右杉立木十一本は警察より仮還付せられたものと誤信し、仮還付のあつた以上これを伐採してもよいとの意思表示が警察からなされたものと思い、これを伐採したものであることは、また、原判決の確定するところであるけれども、既に前段判示の事実が確定せられる以上、右の事情はただ違法性の認識がなかつたとなるに過ぎないものとした原判示もまた正当であつて、所論のような違法あるものとすることはできない。」と判示している。

8 昭和三二年一〇月三日第一小法廷判決(刑集一一巻一〇号二四一三頁)は、封印破毀被告事件について、「刑法九六条の公務員の施した差押の標示を損壊する故意ありとするには、差押の標示が公務員の施したものであること並びにこれを損壊することの認識あるを以て足りるものであるから、原判決が認定したように、函館市税吏員によつて法律上有効になされた本件滞納処分による差押の標示を仮りに被告人が法律上無効であると誤信してこれを損壊したとしても、それはいわゆる法律の錯誤であつて、原判決の説示するように差押の標示を損壊する認識を欠いたものということのできないこと多言を要しない。」と判示している。

9 昭和三四年二月二七日第二小法廷判決(刑集一三巻二号二五〇頁)は、「物品税法一八条一項一号所定の無申告製造罪が成立するためには、行為者において当該製造にかかる物品が同法による物品税の課税物品であることを認識していることが必要であり、この認識は犯罪構成要件たる事実そのものの認識であつて、これを欠くときは故意を阻却すると解すべきである」旨の弁護人の主張を排斥し、「本件製造物品が物品税の課税物品であること従つてその製造につき政府に製造申告をしなければならぬかどうかは物品税法上の問題であり、そして行為者において、単に、その課税物品であり製造申告を要することを知らなかつたとの一事は、物品税法に関する法令の不知に過ぎないものであつて、犯罪事実自体に関する認識の欠如、すなわち事実の錯誤となるものではない旨の原判決の判断は正当である。」と判示している。

10 昭和三五年九月九日第二小法廷判決(刑集一四巻一一号一四七七頁)は、繊維製品の販売等を目的とする株式会社の代表取締役と同会社の取締役営業部長とが共謀のうえ、右会社の業務に関し、同会社が日本専売公社指定の製造たばこ小売人でないのにかかわらず、右公社の製造たばこを他に小売販売した場合には、たとえ右両名において、製造たばこの小売人の指定が右取締役の個人名義でなされても、同人が右会社の前記のような地位にある関係上、会社において製造たばこの小売販売をなし得るものと信じていたとしても、「それは法律の錯誤であつて、事実の錯誤ではないというべく、もとより、故意を阻却するものではない。」と判示している。

11 昭和四六年三月三〇日第三小法廷判決(刑集二五巻二号三五九頁)は、ゴルフクラブ用バツグの製造及び販売を業とする株式会社の代表取締役において、製造業者が製造と同時に販売を行うと、税務署から課税の基礎となる物品の移出数量等が正確には握されるものと考え、製造部門を形式的に第三者名義とし、自己の会社は、外観上第三者が製造した右バツクを仕入れてこれを販売するもののごとく仮装し、この間、種々の工作を講じて物品税の軽減を図つた事案について、「仮に、原判示の趣旨とするところに従つて、被告人は、本件村田和夫ら三者名義の申告納付分がタカネ商事株式会社の申告納付として法律上有効と誤信し、このため右納付分につき脱税の意識がなかつたとしても、これはいわゆる法律の錯誤に過ぎず、右納付分につき脱税の結果に対する事実の認識を欠いたものとして、故意の成立を阻却するものではないと解するのが相当である。」と判示している。

二 更に、次に掲げる最高裁判所判例は、自然犯・法定犯を問わず違法性の認識は故意の要件ではないことを明言している。

1 昭和二五年(刑集に「同年」とあるのは「昭和二五年」のミスプリントと認められる。)一一月二八日第三小法廷判決(刑集四巻一二号二四六三頁)は、進駐軍物資を不正に運搬所持したという昭和二二年政令第一六五号違反被告事件について、「所謂自然犯たると行政犯たるとを問わず、犯意の成立に違法の認識を必要としないことは当裁判所の判例とするところである(昭和二三年(れ)第二〇二号同年七月一四日大法廷判決参照)。従つて被告人が所論のように判示進駐軍物資を運搬所持することが法律上許された行為であると誤信したとしてもそのような事情は未だ犯意を阻却する事由とはなしがたい。」と判示している。

2 なお、前掲一、4の判例は、「自然犯にあつては、犯意の成立につき違法の認識を必要としないが、法定犯にあつては違法の認識を必要とする。従つて前者においては、法律の錯誤は故意を阻却しないが、後者においては故意を阻却する。」旨の弁護人の主張に対し、前記のとおり「犯意があるとするためには犯罪構成要素である事実を認識すれば足りその行為の違法を認識することを要せず、従つて法律の不知乃至いわゆる法律の錯誤は犯意を阻却しない。」と判示したものであり、また、前掲一、3、5、6、9、10及び11の各判例も同じ立場に立つものであることが明らかである。

三 このようにして、判例は、法律の錯誤については、過失の有無又は相当の理由の有無を問わず故意を阻却しないとすることに一貫しているが、違法性の認識を欠いたことにつき過失の有無を問うを要しない旨明示した最高裁判所判例としては、昭和二六年一一月一五日第一小法廷判決(刑集五巻一二号二三五四頁)が「犯意があるとするためには犯罪構成要件に該当する具体的事実を認識すれば足り、その行為の違法を認識することを要しないものである。」としたうえ、「それ故、原判示のごとく被告人は違法の認識を有しなかつたと断じても犯意がなかつたとはいえないし、また、犯意の成立を論ずるのに原判決説示のように更らにその違法の認識を欠いたことにつき過失の有無を問うを要しない。」と判示しているところである。

第二点 法令違反

一 本条例五条の罪の実質的違法性に関する判断の誤り

原判決は、本条例五条の罪の実質的違法性に関して、「本件差戻し判決は、(中略)一次二審判決を破棄し、当裁判所に差し戻したのであるから、差戻しをうけた当裁判所としては、右の判断に従わざるを得ないところで、従つて本件の集団示威運動は本条例一条本文に違反し実質的違法性を有するものとして、取り扱わなければならない道理である。」と判示し、表面的には差戻し判決が判示した「無許可の集団行動は、(中略)それ自体実質的違法性を有するものと解すべきである」との判断に従い、無許可集団示威運動の実質的違法性を肯認しているかのごとくであるが、実質的には右差戻し判決の拘束力に従つた判断を回避し無許可集団示威運動の実質的違法性を否定するに等しい結論を導くに至つている。

そもそも、無許可集団示威運動は、それが公共の安寧に対して具体的な危険を生ぜしめたかどうかにはかかわりなく、それが公安委員会による審査を拒否し、なんら事前の措置が講じられないまま実施されるところに危険性、実質的違法性が認められるのである。しかるに、原判決は、無許可集団示威運動自体のもつ危険性を正当に理解せず、本条例の許可性の性格についてこれを形式的な届出制と同一視し、それは届出制における届出と受理という確認行為に加えて、公安委員会の調整権限を留保する程度のものであるとし、本条例五条の罪については、主催者が形式犯に触れることになるのはともかく、指導者の可罰性が肯定されねばならない法理的根拠には疑問があると判示し、無許可集団示威運動の実質的違法性に疑念をさしはさんでいる。かかる見解を前提として、原判決は、本件について被告人に違法性の錯誤があることを肯認し、かつ、そのように錯誤するにつき相当の理由が認められるとして、犯罪の成立を否定したのであつて、法律の錯誤に関する右の判断が最高裁判所判例に相反するものであることは前述のとおりであるが、仮にこの見解を肯認するとしても原判決の結論とするところは、本条例五条の罪の実質的違法性に関する誤つた判断と密接不可分の関係にあるものである。すなわち、原判決は、その判文全体に照らし明らかなように、本件無許可の集団示威運動の実質的違法性の真の意味、内容を誤解し、その違法性を極めて弱いものと判断し、これを前提として、被告人の違法性の錯誤を肯認し、またその錯誤につき相当性があるとの結論を導き出しているものであつて、原判決の実質的違法性に関する判断の誤りは、明らかに判決の結論に影響を及ぼしているものと認められるのである。そこで、以下に、本条例の許可制の性格並びに無許可集団示威運動の実質的違法性に関する原判決の判断の誤りを指摘する。

1 本条例の許可制の性格について

(一) 原判決は、まず、後掲昭和三五年七月二〇日最高裁判所大法廷判決の判示のうち、いわゆる東京都公安条例にいう許可制は、「集団行動の実施が『公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合』の外はこれを許可しなければならない(三条)。すなわち許可が義務づけられており、不許可の場合が、厳格に制限されている。従つて(中略)この許可制はその実質において届出制とことなるところがない。」と述べた部分のみを自己に有利に援用し、本条例にいう「許可制は、届出制における届出と受理という確認行為に加えて、たかだか、例えば同じ時刻・同じ場所において大規模な二つの集団行動が企画されたような場合の調整権限を公安委員会に留保する程度のことが考えられていることになる」と判示し、本条例の許可制を形式的な純粋な意味の届出制と全く同趣旨の制度と理解していることを明らかにしている。

(二) しかし、右昭和三五年七月二〇日最高裁判所大法廷判決(刑集一四巻九号一二四三頁)は、本条例に定める許可制の意義について、「集団行動による思想等の表現は、単なる言論、出版等によるものとはことなつて、現在する多数人の集合体自体の力、つまり潜在する一種の物理的力によつて支持されていることを特徴とする。かような潜在的な力は、あるいは予定された計画に従い、あるいは突発的に内外からの刺激、せん動等によつてきわめて容易に動員され得る性質のものである。この場合に平穏静粛な集団であつても、時に昂奮、激昂の渦中に巻きこまれ、甚だしい場合には一瞬にして暴徒と化し、勢いの赴くところ実力によつて法と秩序を蹂躙し、集団行動の指揮者はもちろん警察力を以てしても如何ともし得ないような事態に発展する危険が存在すること、群集心理の法則と現実の経験に徴して明らかである。」として、集団行動自体のもつ危険性を明らかにしたうえ、「集団行動による表現の自由に関するかぎり、いわゆる『公安条例』を以て、地方的情況その他諸般の事情を十分考慮に入れ、不測の事態に備え、法と秩序を維持するに必要かつ最小限度の措置を事前に講ずることは、けだし止むを得ない次第である。」とし、更に、「要するに本条例の対象とする集団行動、とくに集団示威運動は、本来平穏に、秩序を重んじてなさるべき純粋なる表現の自由の行使の範囲を逸脱し、静ひつを乱し、暴力に発展する危険性のある物理的力を内包しているものであり、従つてこれに関するある程度の法的規制は必要でないとはいえない。国家、社会は表現の自由を最大限度に尊重しなければならないこともちろんであるが、表現の自由を口実にして集団行動により平和と秩序を破壊するような行動またはさような傾向を帯びた行動を事前に予知し不慮の事態に備え、適切な措置を講じ得るようにすることはけだし止むを得ないものと認めなければならない。」と判示しているのであり、また、本件差戻し判決も「本条例の対象とする集団示威運動等の集団行動は、表現の一態様として憲法上保障されるべき要素を有するのであるが、他面、それは、単なる言論、出版等によるものと異なり、多数人の身体的行動を伴うものであつて、多数人の集合体の力、つまり潜在する一種の物理的力によつて支持されていることを特徴とし、時には本来秩序正しく平穏に行われるべき表現の自由の行使の範囲を逸脱し、地域の平穏を乱し暴力に発展する危険を内包しているものであるから、かかる危険に対処し法と秩序を維持するため、本条例のように許可を原則とし不許可の場合が厳格に限定された集団行動の許可制を設けても、なんら憲法に違反するものでない」と判示しているのであつて、要するに本条例がその一条本文に掲げる集団行動の一切についてこれを許可にかからしめているのは、集団行動がその本来の性質として暴力に発展する一般的抽象的危険性を内包していることから、事前の規制によつて不測の事態の発生を未然に防止する必要があることによるものであつて、そのために地方公共団体においてあらかじめその集団行動の内容を予知し、これに対する適切な措置を講じておく必要が生じ、更に、その実施が公共の安寧に直接の危険が及ぶことがないかどうかを審査し、場合によりこれを禁止しあるいは必要な制約を課そうとするものと解されるのである。このように集団行動に対しては法的規制の必要性があるところから、その一切についてこれを許可の対象としているのであるが、右許可制は、一般の許可制と異なり、不許可の範囲が、厳格に制限されており、その範囲外のものについては、許可が義務づけられているのであつてこの点に着目すれば、実質上届出制と異なるところがないと解されるわけである。しかし、あくまでも不許可処分がなされる余地が残されているのであるから、これを直ちに純粋な届出制であるとするのは誤りである。この点につき前記大法廷判決は「今本条例を検討するに、集団行動に関しては、公安委員会の許可が要求されている(一条)。しかし公安委員会は集団行動の実施が『公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合』の外はこれを許可しなければならない(三条)。すなわち許可が義務づけられており、不許可の場合が厳格に制限されている。従つて本条例は規定の文面上では許可制を採用しているが、この許可制はその実質において届出制とことなるところがない。集団行動の条件が許可であれ届出であれ、要はそれによつて表現の自由が不当に制限されることにならなければ差支えないのである」と判示しているが、右判示は、本条例はその運用上届出制の場合とほとんど異なることのない結果となるべきものであることを指摘したものと解されるのであり、「この許可制はその実質において届出制とことなるところがない」としても、本条例には明らかに「許可」なる文言が用いられており、結局、本条例は、形式的にはもとよりのこと、実質的にもなお許可制の範疇に属するものとみるべきである。

(三) しかるに、原判決は、前記のとおり右許可制を全く形式的な届出制と同趣旨のものと理解しているのであつて、本条例の許可制の本質を見誤つたものというほかはなく、また、右大法廷判決の判旨の恣意的理解に立脚したものといわねばならない。原判決にいうところの「届出と受理という確認行為」なる行為の内容には、実質的な意味における許可制の範疇に属すべき要素はなんら認められず、更に、「たかだか、例えば同じ時刻・同じ場所において大規模な二つの集団行動が企画されたような場合の調整権限を公安委員会に留保する程度のことが考えられている」という判示は、公安委員会があらかじめ集団行動の内容を知り、これに対する適切な措置を講ずる必要性とか、集団行動の実施が公共の安寧を保持するうえに危険が及ぶか否かを審査し、場合によつてはこれを禁止し、または必要な条件を付与する等の措置をとる必要性についても、全くこれを無視しているものであつて、原判決は本条例の許可制の性格についての解釈に重大な誤りを犯していることが明白である。

2 本条例五条の罪の実質的違法性について

(一) 原判決は、前述のとおり、本条例の許可制の性格について、これを形式的な届出制と曲解したところから、「とするならば、無許可ではあつても平穏に秩序を保つて行われる集団示威運動において、申請手続を怠つた主催者が形式犯に触れることになるのはともかく、集団示威運動の指導者(本件では、たまたま被告人坂田が両者を兼ねていると認められる。)の可罰性が肯定されねばならない法理的な根拠はなにか等々の困難な問題があるわけである」との判断を導き出している。もつとも、原判決は右判示に引き続いて、「本件の集団示威運動は本条例一条本文に違反し実質的違法性を有するものとして取り扱わなければならない道理である」としているので、一応は、本件の集団行動自体について無許可の集団示威運動として実質的違法性が認められると解釈しているものともみられるのであるが、右無許可の集団示威運動を指導した被告人の行為の実質的違法性について、これを疑問視していることは明らかである。

原判決の見解は、要するに、無許可集団行動は単に許可申請を欠いたにすぎない手続違反であつて、主催者に手続違背の責任の生じることのあるのは格別、それによつて集団行動自体が一律に違法となるものではなく、したがつて、このような集団行動を指導したとしても、それ自体なんら違法性は存しないか、あるいは違法性が極めて微弱であると解するものと認められる。

(二) しかしながら、本条例が一条本文に掲げる集団行動の一切についてこれを許可にかからしめているのは、既に述べたように集団行動の本来具有する定型的、抽象的な危険性にかんがみ、不測の事態の発生に備え、法秩序を維持するに必要かつ最小限度の措置を事前に講ぜしめようとするものであり、その当然の帰結として、このような許可なくして行われる集団行動を違法としてこれを処罰しようとするものである。いいかえれば、この許可制により、集団行動の実施を公安委員会に知らしめ、それによつて事前の警備等の要否、程度等を検討するとともに、具体的な警備の措置をとる機会を与えようとするものであつて、このような機会を免れて実施された集団行動はそれ自体が危険な行為となるのであり、また、無許可の集団行動は、たとえそれが平穏裡に行われたものであつても、それは結果論であつて、法理上は地方公共団体の事前の措置を無視して行われた点あるいは右措置の検討の機会を奪つてなされた点において、実質的に違法なものなのである。したがつて、許可が原則であることと、許可申請を経由しないこと自体によつて集団行動が実質的違法性を具有するものであることとは、相互に矛盾なく並立する概念であり、このことは、最高裁判所判例によつて定立されているところである。

ところで、本条例五条は主催者のみならず指導者煽動者をも処罰の対象としているが、右規定は、「許可申請」を経由しないでなされる集団行動について、あえて右申請を経由しようとしない集団行動が公共の安寧を侵害する危険をはらんでいる点に着目し、これを法秩序維持上、違法性ある行動の中核として取り上げ、これを主催する行為を違法行為類型として規定するとともに、かかる違法性ある集団行動を指導し、もしくは煽動することもやはり右の中核的な違法性ある行為の実現に影響ある行為として禁止する規範を定立し、その義務違反を処罰しようとするものであつて、そこに「許可申請」を経由しない集団行動を主催し、指導し、若しくは煽動する行為の実質的違法性を見いだすことができるのである。無許可集団行動を指導する行為の実質的違法性に関する判例をみるに、昭和四一年三月三日最高裁判所第一小法廷判決(刑集二〇巻三号五七頁)は、「右条例の対象とする集団行動は、本来平穏に、秩序を重じてなさるべき純粋なる表現の自由の行使の範囲を逸脱し、静ひつを乱し、暴力に発展する危険性のある物理的力を内包しているものであり、さればこそ、これに対しある程度の法的規制が必要とされる所以であつて、決して、所論のように、主催者の許可申請義務違反は、主催者だけの責任であり、右義務違反のもとでなされた集会、集団行進または集団示威運動が、それ自体として何ら危険性はなく実質的違法性を欠くようなものではないこと、したがつて所論違憲の主張の理由のないことは、当裁判所の判例の趣旨とするところである(昭和三五年(あ)第一一二号、同年七月二〇日大法廷判決、刑集一四巻九号一二四三頁)。」と判示し、更に、本件の差戻し判決も、「このように、集団行動に対する許可制が是認されるものである以上、これに違反して敢行された無許可の集団行動は、単に許可申請手続をしなかつたという点で形式上違法であるにとどまらず、集団行動に内包する前叙のような特質にかんがみ、公共の利益保護の必要上、これに対し地方公共団体のとるべき事前の対応措置の機会を奪い、公共の安寧と秩序を妨げる危険を新たに招来させる点で、それ自体実質的違法性を有するものと解すべきことは、当裁判所の前記判例(注―昭和三五年七月二〇日大法廷判決)の趣旨に徴して明らかである(なお、最高裁昭和四〇年(あ)第一〇五〇号同四一年三月三日第一小法廷判決、刑集二〇巻三号五七頁参照)。そうすると、被告人らの指導した本件無許可の集団示威運動はそれ自体なんら実質的違法性を欠くものではないのに、原判決が、『たとえ無許可の集団示威運動を指導したとしても、そこに公共の安寧に対する直接且つ明白な危険がなく、可罰的な違法性が認められない限り、その者に対しては敢えて右のような重い刑罰を以て臨むべきではない』との解釈を前提として、被告人らが本件無許可の集団示威運動を指導した点につき、本条例五条の構成要件を欠くとしたのは、本条例一条、五条の解釈適用を誤つたものというべく」と判示し、無許可集団行動を指導した行為の実質的違法性を肯定しているのである。

なお、昭和四八年一〇月三日東京高等裁判所判決(判例時報七二二号四三頁)は、「右最高裁判所の両判決(注―昭和三五年七月二〇日大法廷判決及び昭和四一年三月三日第一小法廷判決)の趣旨とするところは、前記大法廷判決が判示しているような都条例の対象とする集団行動の危険性およびその事前における規制の必要性から、公安委員会の付した条件に違反して行なわれた集団行動および公安委員会の許可申請を経ないでなされた集団行動は、その各集団行動自体に実質的違法性があることを認め、したがつてまた、このような集団行動を指導した行為にも、実質的違法性があることを認めたものと解される。」と判示し、また、昭和四九年四月一六日大阪高等裁判所判決(判例タイムズ三一一号二六八頁)は、無許可集団行動指揮の事案について、「集団行動自体には、常に必ずしも本質的に暴徒と化する危険性は内在していない」などを理由に可罰的違法性を否定した第一審判決を破棄し、暴徒と化する危険性を内在しているのが集団行動の特質であるから、条例がその実施につき許可を必要とすると規定している実質的理由は、集団行動による不測の事態の発生に備え、公共の安全を保持しようとすることにあるのであつて、これが合憲、合法と解される以上、許可を受けないでなされた集団行動は、それのみによつて違法とみるのになんら不合理な点はなく、「その違法性の実質は、ただ単に許可を受けなかつたという形式的理由にあるのではなく、許可を必要とする前記の理由、すなわち地方公共団体による事前の措置を講ずる機会を奪つたまま集団行動が実施されたという点にあるというべきであつて、(中略)条例五条、一条に違反する集団示威行進指揮の罪は、公安委員会の許可を受けない集団示威行進が行なわれた事実と、被告人においてこれを指揮した事実とがあれば成立し、かつ、特段の事情のない限り、それにより可罰的違法性があるものと認むべきである。」と判示し、前記最高裁判所判例に対する正当な理解と、それに基づく至当な判断を示しているのである。

(三) 以上のとおり、本条例に違反して敢行された無許可の集団示威運動は、単に許可申請手続をしなかつたという点で形式上違法であるにとどまらず、集団行動に内包する特質にかんがみ、公共の利益保護の必要上、これに対し地方公共団体のとるべき事前の対応措置の機会を奪い、公共の安寧と秩序を妨げる危険を新たに招来させる点で、それ自体実質的違法性を有するものと解すべきであり、また、無許可集団示威運動の指導行為自体も実質的違法性を有することが明白であるのに、原判決は、前記のとおり申請手続を怠つた主催者が形式犯に触れることはあつても、その指導者の可罰性が肯定されねばならない法理的根拠に疑問があるとし、更に、「本件集団示威運動は従来の空港ビル内でのそれと比較して特に激烈悪質なものではなく、むしろ、その服装や所持品及び継続時間の点からすれば比較的平穏なものであつたと認めるのが相当である」とし、専ら、結果論の立場から、既に行われた集団行動に主眼をおいて、それが平穏なものであつたか否かを重視しようとするもので、無許可集団示威運動の違法性の本質を正当に理解しないものである。無許可集団示威運動それ自体並びにその指導行為の違法性は縷説したとおり、その一般的、抽象的な危険性に由来するものであつて、決して公共の安寧に対する具体的危険があること、更には、当該集団行動が許可なくして行われた結果、公共の安寧に対する侵害が現実に発生したことを要するものではないのであつて、原判決の右判断は、無許可集団示威運動の実質的違法性の意味、内容を曲解するものであり、かかる見解は、集団行動に対する許可制の実効性を担保する本条例の機能を否定し、集団行動に対し許可制を設けることの意味をほとんど失わせるものであるうえ、その違法性を極めて形式的なものと判断している点において、本条例五条の罪の実質的違法性に関する法令の解釈を誤つたものといわざるを得ない。

3 結語

以上のとおり、原判決は、本条例の許可制の性格を誤解し、ひいては無許可集団示威運動の実質的違法性に関する判断の誤りを犯しているが、更に、冒頭にも触れたごとく、原判決は右のとおり誤つた判断を前提として被告人の違法性の錯誤を肯認し、またその錯誤につき相当の理由が認められるとして被告人につき犯罪の成立を否定し、結局、第一審判決が被告人に対して無罪を言い渡したのは正当であると判示するに至つているので、原判決の本条例五条の違法性に関する判断の誤りは、判決に影響を及ぼすことが明らかであつて、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。

二 違法性の錯誤に関する判断の誤り

1 原判決は、前記のとおり、「被告人は無許可ではあつても比較的平穏な集団示威運動が法律上許されないものであるとまでは考えなかつたと認めるのが相当である。」として、被告人には違法性の錯誤が存すると判断し、かつ、「被告人が行為当時の意識において、本件の集団示威運動は、従来の慣例からいつても法律上許されないものであるとまでは考えなかつたのも無理からぬところであり、かように誤信するについては相当の理由があつて一概に非難することができない場合であるから、同被告人については、右違法性の錯誤は犯罪の成立を阻却すると解するのが相当である。」と判示している。

しかし、古来、「法の不知は害する」、「法律の不知は何人をも許さない」という法格言はローマ法以来の伝統である、法律は他律的規範であるからその適用をうけるものがその規範の意味を知る必要がない、国民はすべて法を知つているはずである、違法性の認識を故意の要件とすることは無罪を公認するようなもので国家がみずからその生存権を放棄するものであり法律の錯誤を無視することは国家的必要であり国家の処罰の必要性によるものである等の理由により違法性の認識は故意の要件ではないとされてきた。近時学者の間には、種々の見解があるものの、判例は、前述したとおり、大審院、最高裁判所を通じて、自然犯たると法定犯たるとを問わず、違法性の認識は故意の要件ではなく、法律の錯誤はいかなる場合でも故意を阻却するものではないとする点で一貫している。判例がこのような立場をとる基本的理由は、「蓋シ犯意ハ犯罪ヲ構成スヘキ自然的若ハ法律的事実ノ認識ニシテ斯ル認識ニシテ存在センカ責任能力ヲ有スル通常人ハ所謂違法ノ認識又は意識ヲモ有スヘキヲ普通トスヘク又ハ少クトモ之ヲ期待シ得ヘク然ルニモ拘ラス尚且犯意ノ成立ニハ更ニ必ス違法ノ認識又ハ意識ヲ要スルモノトセハ或ハ責任能力ヲ有シ乍ラ道義心遵法心等ニ乏シキカ若ハ悪習堕落等ニ因リ之ヲ失ヒタルカ又ハ特殊ノ思想信念ニ基ク等ノ理由ニ因リ犯罪事実ニ対スル違法ノ認識又ハ意識ヲ欠クカ如キ者ノ処罰ヲ逸スルノ虞アルノミナラス或ハ国家社会的秩序感ノ特ニ鋭敏ニシテ之カ為犯罪事実ニ対スル違法ノ認識又ハ意識ノ異常ニ深刻明確ナルカ如キ者ヲ却ツテ強キ犯意アルモノトシテ重ク処罰セサルヘカラサルノ不当ナル結果ヲ生シ従テ健全ナル通常人ノ道義的責任ヲ重ンスヘキ刑罰法規ノ目的ニ背反スルヲ以テ刑法第三十八条末項本文ハ特ニ之ヲ要セサルモノト明定シタルモノト解スヘ」きである(大判昭一六・一二・一〇新判例大系刑法2・二五六ノ五一頁)点にあるものと解されるところ、このような見解は、優に合理性を有し、殊に国民の価値観の多様化が顕著な今日においては、なお尊重されるべきものと考えられ、これに反する解釈をとることは法の権威を否定するに等しく、にわかに右見解を変更することは相当でないというべきであり、原判決は、これら判例の一貫した見解と相反する考え方をとることによつて、刑法三八条の解釈適用につき重大な誤りを犯しているのである。

2 しかし、百歩を譲つて原判決が判示するような相当の理由に基づく違法性の錯誤は犯罪の成立を阻却するとする考え方を肯認するとしても、本件において被告人に違法性の認識の欠如があるとする原判決の判示には、その根拠となる事実の法的評価に重大な誤りがあり、また、仮に違法性の認識の欠如を認めるとしても、本件については違法性の錯誤につき相当の理由があつたものとは到底認めがたく、原判決の刑法三八条の解釈には重大な誤りが存すること明らかである。以下その理由を詳述する。

(一) 違法性の錯誤の有無に関する判断の誤り

(1) 原判決は、被告人は違法性の認識を欠如していたと評価し、その根拠となるべき事実として

ア 本件の前日である昭和四二年一一月一一日には東京都内清水谷公園に集まつて佐藤首相訪米反対の意思表示を行うことを計画し、これについては被告人の手で東京都公安委員会に本条例一条本文所定の許可を申請し、その許可を受けて、計画どおり本件と同じような集団示威運動が行われたこと。

イ これまで、空港ビル内において著名人や内外要人などの送迎又は航空会社労働組合の争議などの際に東京都公安委員会の許可を受けずに多数人が参集して気勢をあげたことが広く報道されていたこと。

ウ 本件の約二か月前に佐藤首相が台湾やベトナムを訪問した際にも、被告人は同じロビーで本件と同様の抗議行動をとつたにもかかわらず、現場に居合わせた警察官に警告も制止もされなかつた体験をもつていたこと。

エ 当日も、空港ビル会社からは制止の放送等があつたけれども、被告人の目前で状況を現認していた制服・私服の警察官からは終始なんらの警告も制止もなされなかつたこと。の四点を掲げ、これを総合して前記の結論に達しているのである(判決書一二丁裏ないし一三丁裏)。

(2) しかしながら、右の事実について検討してみても、以下に論述するとおり、これらを根拠として違法性の認識を欠くと判断したのは明白な誤りである。

ア 本件の前日行われた清水谷公園における集会等の許可申請について

本件の前日、清水谷公園において、被告人の手で許可申請手続をし、許可を受けたうえ、原判決にいわゆる「本件と同じような集団示威運動が行われた」との事実は、被告人において本件についても当然許可申請を要することを認識したことの証左とこそなれ、違法性の認識の欠如を肯定する根拠とするのは全く不合理である。

イ 従来の空港ビル内における送迎等の実情と本条例の許可について

原判決は、主幹日誌(記録七冊二二一ないし二五三丁)の記載等から、同空港ビルのロビー等においては、これまで諸種の集団による無許可の示威運動が行われたと認定しようとするもののようであるが、右主幹日誌を精査すれば、従来空港ビル内外において各種の送迎あるいは抗議行動等が行われた事実は認められるが、その都度、空港ビル会社の警告に従つて行動を中止し、又は警察官の実力行使によつて事態が解決されているのであり、決して、同所で無許可の集団行動が黙認あるいは放任されていたものでないことは明らかである。

更に、原判決は挙示の毎日新聞、朝日新聞(記録七冊二一〇ないし二一九丁、一〇冊一〇一丁)の記事からも、従来空港ビル内において送迎などの際に、無許可の集団行動が行われ、その旨の報道がなされていたと認めようとするものとみられるが、右新聞等の記事からは、昭和三五年一月一六日、新安保条約調印全権団の渡米に際して、前夜から全学連約七〇〇名が空港ビルのロビーに座り込んで気勢をあげたため、警察官が実力排除し、検挙者もあつたことが報じられているほかは、各種送迎あるいは抗議行動として多数の者が詰めかけ、厳重な警備が行われたことを報道していることが認められるにすぎず、原判決の判示するごとく「東京都公安委員会の許可を受けずに多数人が参集して気勢を挙げたことが従来広く報道されていた」という証拠は全くなく、右判示は、独断に基づくものであるというほかはない。

なお、同空港ビル内においては、管理権者である空港ビル会社が一切の集会、集団示威運動等を禁止していたので(記録三冊三九三丁原口三郎の証言)、かかる場所における集会等に関し許可申請をすることは通常あり得ず、したがつて、空港ビル内での集団行動の許可申請の事例が存しないのは至極当然のことであり、許可申請がないからといつて、無許可の集団行動が放任されていたといえないことはいうまでもない。

ウ 佐藤首相の台湾、ベトナム訪問に際しての抗議行動について

昭和四二年九月七日佐藤首相の台湾訪問の出発、同年一〇月八日同首相のベトナム訪問の出発に際して、日本社会党、日中友好協会、国貿促等の団体が同空港に詰めかけて抗議行動を展開し、その大部分はフインガーに出て横断幕を掲げ、赤旗を持ち込んだため、警察官から撤収されあるいは入場に際して点検をうけたという事実は、一審の証人清宮五郎の証言(記録四冊七三四ないし七四一丁)、差戻し前の二審の証人井岡大治の証言(記録九冊一四八ないし一五〇丁)、原審の証人萩原定司の証言(記録一〇冊六三、六四丁、七六ないし七八丁)によつて認められるが、その際にも、原判決がいうように、本件ロビーにおいて「本件と同様の抗議をとつた」とするのは、被告人の供述(記録一〇冊一二〇ないし一二三丁)のみで、むしろ、右萩原証人の証言(記録一〇冊六四丁、六六、六七丁)からすれば、いずれの場合も、「二〇〇ないし三〇〇名の関係者がロビーに集り、ここで待合わせして佐藤首相の通ると思われる通路の方へ降りて行つた」というにすぎず、本件とはその態様を異にするものと認められる。原判決は、右抗議行動の際にも被告人は現場に居合わせた警察官に警告も制止もされなかつた体験をもつていたと判示しているが、前述したとおり、右抗議行動と本件とはその態様も異なるため対比できないばかりでなく、これをもつて同所での無許可の集団行動が容認されていたとみるのは恣意的な判断である。

エ 本件当日警察官が警告制止しなかつたことについて

本件当日、被告人らの行動に対しては空港ビル会社が警告制止の放送並びに立看板の掲示をしているが、現場に居合わせた警察官が警告制止をしなかつたとしても、原判決も認めるように空港ビル会社からは制止の放送等がなされていたので、現場にいた警察官としては、警察側が警告・制止する必要はないと判断したものと認められる。その理由について警察官石井勘一は、「空港ビル側で何回も警告しており、国会議員の黒田寿男らが加わつていたので、やめると思つていた。口を出す必要はないと思つた」(記録三冊三三三丁)、「空港ビル側の警告放送がなければ警察官が警告しております」(同三五四丁裏)、「デモが行われた時点では、警告しなかつたというのではなく、その余裕がなかつた」(同三五七丁)、同小田通夫も、「制止する気はありましたけど、私自身がやつたとしてもそこで摩擦が起こると思つてやらなかつた。言い合いが起こつたりすると困るのでやらなかつた」(記録二冊二二八丁)旨証言しており、本件の現場が空港ビル会社の管理する場所であることから考えれば、警察官が前面に出ず、空港ビル会社が自主的に警告制止するのが当然のことであり、警察官の警告制止がなかつた一事をもつて、無許可の集団行動が容認されていたと認定したのは相当でない。

(3) 被告人は一審の公判廷において、「ロビーでの集会について許可申請をすることは、正直に言つて全然考えていませんでした。あそこで公安条例の問題がおきるかもしれないということは意識していませんでした」、「ロビーに集ることについて、都条例はまるつきり念頭にありませんでした」旨供述し(記録四冊八一七、八一八丁)、「あそこで公安条例が必要だとは皆知らんのではないかと、何回かあそこで集会の経験のある私が知らないのですから、他の人は当然知らないと思います」とも述べており(記録四冊八二四丁)、これが一審判決をして「被告人は本件ロビー内の行動については、許可申請につき全く無関心とも思われる態度であつた」と判示させるに至つたゆえんであり、原判決が被告人は「無許可ではあつても法律上許されないものであるとまでは考えなかつた」と認めた根拠の一つとなつているものと考えられる。

しかしながら前述のとおり、空港ロビーの特別送迎デツキ入口等に、空港ビル会社の「空港ビル内での集会、デモ行進、高歌、マイク、旗竿等の使用は、塔乗業務に支障を来たしますからお断り致します」などと記載した立看板が掲出されており(記録七冊一六八ないし一八六丁実況見分調書)、また、本件集団行動が行われている間、空港ビル会社からはマイクで、「ロビー内での集会は他の旅客や送迎人の妨げになりますからおやめください」等の警告放送が繰り返され(記録三冊四九九丁古本昌利の証言、その他記録三冊三七五ないし三七八丁、三八四ないし三八六丁、三五四丁、三五八丁、同二冊一七〇丁、二一二丁、二六三丁)特に、右古本は「ボリユームを二目盛りぐらいあげて、相当大きな声で放送した」(記録三冊五〇四丁)と述べているのであつて、被告人らとしては同所での本件集団行動が禁止されていることを熟知していたといわなければならない。

その点については被告人もこれを認め、一審公判廷では、「放送は何回目かのを聞いたのですが、もう終ると思いましたから、すぐにやめようとはしませんでした」と供述し(記録四冊八二二、八二三丁)、原審公判廷においても、「アナウンスがあつたからやめるというわけにいかんわけです。もうすぐ終わるからというふうに思つていました。一方で制服の警官もいるのが、私はよく見えるわけです。その制服の警官の顔を見ながら、もうそろそろ早くやめたほうがいいと、まあ潮時ということを自分で考えていますから、で聞こえてすぐやめたということじやありません」と述べている(記録一〇冊一五四ないし一五六丁)のをみても、空港ビル会社の警告を意識しながらこれを無視し本件行動を継続したことが明らかである。

更に、被告人は本件ロビーから駆足行進を始めるに際し、人造大理石製たばこ吸いがら入れの上に立つて「佐藤総理が訪米するのに対し、警察官のいる中で堂々と意思表示ができたことは、自分たちの偉大なる力である」旨演説し、「これから行動に移ります」と指示している(記録二冊二五一丁、浦地秀夫の証言)ことからも、警察側の警備を嘲弄する態度がうかがわれ、わがもの顔に本件集団行動を遂行したとみられるのであつて、この点に関する原判決の右認定は、証拠の評価を誤つたものといわざるを得ない。

(4) 以上のような事実関係を前提として、本件の違法性の認識の有無を検討するに、被告人は本件について本条例の許可申請を要するとは考えなかつたというのであるが、本件において被告人は、本件集団行動を行うにつき許可申請手続をとつていないこと自体は十分に知つていたものであり、加えて、本件ロビーでの集団行動中空港ビル会社から中止方の警告放送が行われているのに、あえてこれを無視してその行動を継続したのであるから、それが法的に禁止され、違法とされることを知つて行為したと認めるべきであつて、違法性の認識に関する諸学説のいずれの見解によつてみても、被告人には違法性の認識を欠如しているとは認め難く、原判決の判断は重大な誤りを犯しているのである。

(二) 違法性の錯誤につき相当の理由の有無に関する判断の誤り

(1) 原判決は、被告人には違法性の錯誤につき相当の理由が存すると判断した根拠として

ア 本件集団示威運動は、従来の空港ビル内でのそれと比較して特に激烈悪質なものではなく、むしろ、その服装や所持品及び継続時間の点からすれば比較的平穏なものであつたと認めるのが相当であること。

更に、その理由となるべき事実として

① 従来空港ビル内での集団行動に関する許可申請の事例は皆無であること。

② 空港ビル内での無許可の集団示威運動に関して指導者などが起訴された事例もまた皆無であること。

③ 集団行動の規模・態様において本件のそれを上回る事例も少なくなく、なかには空港側の要請によつて警察官が実力規制したものもあること。

④ これにひきかえ、本件集団示威運動が行われていた際ロビー内には空港保全部警務課の担当職員のほか制服や私服の警察官がかなり居合わせたけれども、担当職員から警察官に対し警告方の要請はなく、警察官において、独自に本条例所定の警告や制止をすることもなく、事態が進行・推移したことが認められること。

イ 当時すなわち昭和四二年一一月一二日までの時点では全国各地の裁判所において、無許可集団示威運動につき可罰的違法性がないとされた裁判例がかなり出されていたこと。

ウ 本件につき東京高等裁判所第九刑事部が宣告した判決においても、本件集団示威運動には可罰的違法性がないとするのが相当であると判示されていること。

エ 本件につき最高裁判所第二小法廷がした判決に対しては、一応民意を代弁するものとみて不可ない朝日新聞及び毎日新聞がその社説で、無許可集団示威運動の可罰的違法性をむやみに肯定するのは疑問であると批判していること。

などの諸点をあげている(判決書一四丁ないし一六丁)。

(2) しかしながら、原判決が掲げる前記の各事項について考察すると、以下に論述するとおり、これらをもつて「相当の理由」があることの根拠とすることは到底肯認することはできない。

ア 原判決は、本件集団示威運動は、従来の空港ビル内でのそれと比較して特に激烈悪質なものでなく、比較的平穏なものであつたと認めるのが相当であるとし、更にその理由となるべき事実として、前記の四点を掲げているのであるが

① まず、従来空港ビル内での集団行動に関する許可申請の事例がなかつたことは事実であるが、空港ビル内においては、管理権者である空港ビル会社が一切の集会、集団示威運動等を禁止しているので、同所でかかる集団行動を実施することは許可されるはずがなく、右許可申請の事例のないことは当然であつて、問題視すべき事柄ではないのである。

② 次に従来空港ビル内での無許可の集団示威運動に関して指導者などが起訴された事例も皆無であることは、本件の一審公判廷で検察官が釈明したとおりであるが、従来空港ビル内において行われた集団行動が果たして本条例にいう集団示威運動と認められるものか否か、もし、仮にそのように認められるとしても、その行為の主催者、指導者ないし煽動者が特定し得る事案であつたのか、はたまた空港ビル会社等の警告によつてその行為を中止したことにより右指導者等を検挙するに至らなかつた場合であるのか、あるいは警備実施上の情勢判断に基づいて検挙しなかつたものであるのかなど、事実関係において不明確な点が多いのである。また空港ビル内での集団行動であつても、屋内のロビーにおける行為と、屋外のフインガー等における行為とでは、その行為の公共の安寧に与える影響にも相違があるので、同種行為であつてもその与える実害の大小によつて取締りに相違の生ずることもやむを得ないところであつて、かかる事実関係を無視し、過去に起訴事例がないことを理由として、本件集団示威運動の態様を評価することは当を得ないことである。

③ 更に、原判決は、前掲主幹日誌の記載により、集団行動の規模・態様において本件のそれを上回る事例も少なくなく、なかには空港側の要請によつて警察官が実力規制したものもあることを挙げているが、原判決があたかも従来空港ビル内では本件を上回るような無許可の集団行動が敢行されているのに、警察側がこれを検挙せず、また起訴もされずに放任されていたかのような趣旨の判示をしている点は到底承服できない。前述のとおり、従来空港ビル内で行われた送迎あるいは抗議行動、労働組合の争議の際の行動等については、その都度空港ビル会社が警告・制止を行つてこれを中止させ、あるいは警察官の実力行使によつて排除し、又は検挙していることが認められ、決して放任されていたものでないことも明白で、原判決は牽強付会の憶測をしているのである。

④ 原判決は、空港ビル会社担当職員から警察官に対し警告方の要請はなく、また、警察官も独自に警告制止することなく事態が進行・推移したことをあげている。しかし、この点も前述したとおり、空港ビル会社が自主的に警告放送等を行い、本件集団行動の中止を呼びかけたものであり、また、デモ行進の出発する時点では、現場にいた警察官も制止するいとまがなかつたというのであつて(記録三冊三五七丁石井勘一の証言)、これをもつて、警察側が本件の集団示威運動の実施を黙認していたと判断することの誤りはいうをまたない。

なお、原判決は、本件集団行動が比較的平穏なものであつたと認める根拠として、その服装や所持品及び継続時間の点をあげている。しかし、本件参集者のなかに旗、プラカードなどを持参したり、腕章、たすきなどをつけている者がほとんど見当たらないことは事実であるとしても、右のような所持品や服装が集団示威運動に欠くことができないものとはいえないし、また、本件集団行動が約二〇分間あまりの短時間であつたことも認めうるが、本件の現場が極めて公共性の強い場所であり、現実に空港業務が行われ、周辺の売店等も営業中であり、多数の一般客等がいたことを併せ考えれば、継続時間が短くとも、けん騒と混乱を引き起こした実害は否定できず、比較的平穏であつたというのは誤りである。

イ 原判決は、「本件当時までの時点では全国各地の裁判所において、無許可集団示威運動につき可罰的違法性がないとされた裁判例がかなり出されており」と判示しているが、無許可集団示威運動につき可罰的違法性を否定した裁判例は、本件の差戻し前の二察判決が最初のものであり、本件当時にはかかる裁判例の存しなかつたことは顕著な事実であつて、右判示は明白な誤りを犯しているのである。

ウ 原判決は「本件につき、東京高等裁判所第九刑事部が宣告した判決においても、本件集団示威運動には可罰的違法性がないとするのが相当であると判示されている」としているが、右判決が本件について可罰的違法性が認められないと判示した点については、本条例一条、五条の解釈適用を誤つたとして差戻し判決によつて破棄されているのであつて、これをもつて違法性の錯誤につき相当の理由の一つとすることは論理的に整合しない。

エ 更に、原判決は、本件差戻し判決に対して、朝日新聞、毎日新聞がその社説で批判していることをあげているが、右社説はいずれも、表現の自由との関連から本件については可罰的違法性を欠くとして無罪の判決をすべきであるとの意見であり、弁護人らの主張と軌を一にするものであるけれども、右批判は差戻し判決を含めて本条例に関する最高裁判所の判例の真意を理解せず、一面的に表現の自由のみを強調する一個の見解というべきで、それが必ずしも民意を代弁しあるいは社会通念といい得るかについては大いに疑問が存するといわねばならない。しかも、本件発生後八年有余を経過した時点で、かかる一部の見解が表明されたことをもつて違法性の錯誤につき相当の理由があつたと認めるのは著しく不当な判断というべきである。

(3) 以上の事実関係によれば、本件は、違法性の錯誤につき相当の理由がある場合とは到底認めることができない。むしろ、本件において、被告人は、無許可の集団示威運動を指導するにあたり、許可申請の手続を経ていないこと自体を十分に知りながら、あえて一方的に本件集団行動を実施したと認められるのであつて、その行為を非難することができないような特別の理由も見いだすことができないのである。なお、違法性の認識を欠いたことについて相当の理由がある場合に犯罪の成立を阻却するとする学説等においては、一般的に、「相当の理由」は、単なる主観的判断として存在するだけでなく、自己の行為が合法であると確信するについて相当な客観的根拠が存在することを要するものと解されており、権限ある公の機関あるいはこれに準ずるものの法律解釈・見解を信頼したために違法性を認識しなかつた場合などが適例としてあげられるのであるが、本件では被告人が権限ある公の機関すなわち本件現場を管轄する東京空港警察署を通じ警視庁あるいは東京都公安委員会に対し、その適否を問い合わせた事実があるとか、また、右現場の管理権者である空港ビル会社等に対し、ロビーの使用等を申し出た事実があるとかなどの事情が存するならば格別、かかる特別の根拠がない本件においては、法律の錯誤につき相当の理由があつたと認めるに由ないものである。もつとも、本件現場において制服・私服の警察官がなんら本条例に基づく警告・制止をしなかつたことは前述したとおりであるけれども、警察官としては空港ビル会社の警告が行われていたため、あえて警告を要しないと判断したというのであつて、これをもつて警察官が本件無許可の集団行動を黙認していたとは認められず、右警告・制止がなかつたことをとらえて「相当の理由」があつたとするのは余りにも根拠が薄弱である。

要するに、無許可の集団示威運動が、許可申請を経由しないこと自体において実質的違法性を具有するということは、前述したとおり、判例上定立された法理である。したがつて、原判決の前提とする法律見解を肯認するとしても無許可集団示威運動であることの事実の認識がありながら、それが法律上許される場合に当たると考えたことにつき相当の理由があると認めるためには、厳格な意味で特別の客観的な根拠を必要とするものといわなくてはならない。しかるところ、原判決が相当の理由があることの根拠として掲げる前記の各事実は、いずれの面から検討しても、到底肯認することのできない内容のものである。

以上詳論したとおり、原判決の違法性の錯誤に関する法律解釈には明らかな誤りがあり、右誤りは判決に影響を及ぼすこと明らかで、これを破棄しなければ著しく正義に反するものである。

結語

以上論述したとおり、いずれの点よりするも原判決は破棄を免れないものと思料するので、更に適正な裁判を求めるため本件上告に及んだ次第である。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例